第1章:なぜ、私たちは「自分でやってしまう」のか

ベテランエンジニアにとって、現場で最も抗い難い「誘惑」がある。それは、若手が書いたコードや作成した設計書を見たときに湧き上がる、「あぁ、もう自分でやった方が速いな」という衝動だ。
キャリア30年にもなれば、若手が数時間悩んでいる課題の答えが、一目見た瞬間にわかってしまう(ことが多い)。
自分がキーボードを叩けば15分で終わる修正が、彼らに任せると半日経っても終わらない。プロジェクトの進捗(しんちょく)を預かる身としては、この時間差はあまりにももどかしい。
「ちょっと貸して。ここはこうやるんだよ」
そう言って鮮やかに問題を解決してみせる。若手からは尊敬の眼差しを向けられ、プロジェクトの遅れも最小限に食い止められる。
一見、誰もがハッピーに見える解決策だ。しかし、これこそがベテランが陥る「短期的な効率」という名の深い落とし穴であることに、私はようやく気づき始めた。
私たちが「自分でやってしまう」背景には、単なるスピードの問題だけでなく、無意識の自己承認欲求も隠れている。
「まだ現役で通用する」「自分がいなければこの現場は回らない」 そう自らの存在価値を証明したいがために、無意識のうちに若手の仕事を奪ってしまっているのではないか。
だが、冷静に考えてみてほしい。 50代の私が現場でガリガリと手を動かし続け、属人的なスキルでプロジェクトを回し続けることは、組織にとって本当に「利益」なのだろうか。
私が手を出すたびに、若手が自力で壁を乗り越える「学びの瞬間」は失われる。
そして何より、私が「作業者」として時間を使い切ってしまうことで、チーム全体を俯瞰(ふかん)し、大きなリスクを未然に防ぐという、本来ベテランが果たすべき「高付加価値な仕事」がおざなりになってしまう。
「自分がやった方が速い」という誘惑に負けることは、プロとしての責任感に見えて、実はチームの長期的な成長と利益を搾取していることに他ならないのだ。
第2章:「任せる」ことは、最大の「リスク管理」である

「任せる」とは、決して「放置」することではない。むしろ、自分で手を動かすとき以上に、ベテランとしての「予測精度」が試される高度な業務だ。
若手にタスクを振る際、私が最も意識しているのは「防波堤の設計」である。
若手がどれだけ試行錯誤し、仮に失敗したとしても、プロジェクト全体の納期や品質という「最終防衛ライン」だけは絶対に越えさせない。
そのためのバッファとチェックポイントをあらかじめ工程の中に組み込んでおく。これが、30年の経験が成せる「攻めの守り」だ。
具体的には、自分で作業すれば1日で終わるタスクであっても、若手には3日の期間を与える。この「2日の差分」こそが、ベテランが提供すべき「育成コスト」であり「リスクヘッジ」だ。
この2日間、私はキーボードを叩く代わりに、以下のような「見守り」に徹する。
- 進捗の「音」を聞く: 直接進捗を聞かなくても、彼らの会話やキーボードを叩く音、あるいはチャットのレスポンスの変化から、「詰まっているサイン」を察知する。
- 「先回り」の環境整備: 彼らが数時間後にぶつかるであろう仕様の不整合や、顧客からの無理な要求を、あらかじめ裏側でデバッグし、環境を整えておく。
自分が動けば一瞬で「凪」は訪れるかもしれない。
しかし、それでは私が現場を離れた瞬間に嵐が再発する。 私が手を止め、若手に「自分で波を乗り越えさせる」ための防波堤を築く。その結果として訪れる、「自分が何もしなくても現場が静かに回っている状態」。
この、一見するとベテランが暇そうに見える状態こそが、実はプロジェクトにとって最も安定し、利益率が最大化されている瞬間なのだ。
私たちは「作業」という目に見える貢献から、「環境維持」という目に見えない、より高次元の貢献へとシフトしなければならない。
第3章:承認が「自走」を生み、利益率を押し上げる

若手に仕事を任せた際、最後に行うべきベテランの重要な仕事は「仕上げ」ではなく「手柄を譲る」ことだ。
ベテランが手を出し、完璧すぎる修正をしてしまうと、若手の中には「結局、自分の力ではダメだった」という無力感が残る。これでは、次に同じような課題に直面したとき、彼らは再びベテランの顔色をうかがうようになってしまう。
一方で、たとえ不器用な中身であっても、若手自身が悩み抜いて答えを出したものを尊重し、それを「成果」として認めると、現場に劇的な変化が起きる。
- 自走のスイッチが入る: 「自分の判断でプロジェクトが動いた」という感覚が、責任感と主体性を生む。
- 承認欲求のデバッグ: 若手が求めているのは、単なる答えではなく「自分が必要とされている」という実感だ。それを満たすことで、指示待ち人間から、自らリスクを報告し、自ら解決策を提案するプロフェッショナルへと変貌していく。
このプロセスにおいて、私たちベテラン側も「報酬系のアップデート」が必要になる。
かつての私たちは、難解なバグを自ら解決し、賞賛を浴びることに快感を覚えていた。
しかし、今のステージにおける最高の快感は、「自分が何も言わなくても、メンバーが自ら気づき、課題を解決している姿を眺めること」であるべきだ。
私が動けば10万円の利益が出るかもしれない。しかし、若手が自走できる環境を作れば、今後彼らが担当するすべてのプロジェクトにおいて、永続的に利益を生み出し続ける。
若手の成功を「自分のこと」のように喜び、彼らが輝ける舞台の裏方(黒衣)に徹する。この一見地味な「手柄の移譲」こそが、組織全体の生産性を底上げし、結果として現場に揺るぎない「凪」をもたらすのだ。
第4章:結び:手を止めることで、本当の「価値」が見えてくる

50代を迎え、現場で「あえて手を止める」という選択をすることは、正直に言えば怖さも伴う。
技術の最前線から一歩退くような、現役としての輝きを失うような、そんな寂しさを感じる瞬間があるかもしれない。
しかし、今の私には確信がある。 私たちがキーボードを叩く音を静め、若手を見守り、現場に「凪」を作ることに専念するとき、そこには作業者としての有能さを超えた、真のプロフェッショナルとしての価値が宿るのだ。
私たちが再定義すべきは、技術スキルの高さではない。 「自分がいなくても、最高の結果が出るチームを作り上げる能力」だ。
私が30年かけて積み上げてきた経験は、単なる知識の蓄積ではない。
プロジェクトが難航しそうな時の「嫌な予感」や、メンバーの疲弊を察知する「感性」、そして、静かにリスクをデバッグする「忍耐」だ。これらの無形の資産を、若手の成長という形に変換していくこと。
それこそが、ベテランエンジニアにしかできない、最も利益率の高い投資なのである。
今、私の目の前では、かつて私が手を出したくてたまらなかったタスクを、若手が懸命に、そして確実にこなしている。その姿を眺めながら、私は静かに次の「防波堤」を設計する。
私たちが「任せる」勇気を持ち続ける限り、その背中は、後に続く若手たちにとっての安心感となり、確かな道しるべになるはずだ。
コードの行数で勝負する時代は終わった。 これからは、チームが描く成果という名の美しい地図の中に、目立たないが強固な「航路」を引いていく。それが、30年選手である私の、新しい「挑戦」である。

