
システムエンジニアの仕事でどういうときにうつ病になるんだろう?



私の場合をお答えします!
本文にチェックポイントやマーカーが引かれている箇所があります。そこが私がうつ病になってしまった原因となっているところだと思っています。
今後、完全寛解までに取り組んだ内容を公開していきますが、まずが私がどういうことを思い、どうなっていったのかを知っていただきたいと思います。
チェックポイント、マーカーの部分で同じだと感じた方は、より寛解までの道のりが参考になると思います。
それでは本文をどうぞ!
始まりは突然に


地獄の始まり
長年(9年)参画していたプロジェクトが終わり、次のプロジェクトへの配属というタイミングでした。
その当時2011/3/11に起きた東日本大震災の影響がまだ残っていて、それほど行く先のプロジェクトを選べなかった記憶があります。
そんな中、社内で一番トラブっていたプロジェクトへ、以前一緒に働いていた諸先輩がいたこともあり、空いてくるならおいでってことで、そのプロジェクトに参画することになりました。
最初は普通だった
プロジェクトに入った初日から残業で、帰りが22:30くらいとかなり遅くなったのも、既におかしなこと(初日は作業用のパソコンのセットアップや、資料の読み込みなどで定時に上がれることが多い)で、先行きが不安だった記憶があります。
とはいえ、4月はテストの支援ということで、1メンバーだったこともあり、それほど精神的に圧迫されるようなこともなく、淡々と作業をしていたイメージでしたが、残業時間は100時間程度行っていました。
でも、正直この程度の残業は大したことがないと思っており、その当時、仕事が忙しい分、プロジェクトのメンバーと気晴らしと称して、おいしいご飯(焼肉、寿司など)をそれなりの頻度で食べに行っていました。
現在では、残業100時間は、過労死基準を超えているわけですけど、わたしの年代(1998年入社)では、過労死なんて意識しないものでした。若い時はむしろ80時間くらいは残業代も入っていいね!って思っていました。
それに忙しいプロジェクトだとチームが団結していたりするので、その点でも飲み会などが楽しい場合もよくあります。(ある一定以下の残業時間と作業量の場合)
今思えば、この考え方自体が昭和というかずれてますよね。
こんなに残業があること自体がおかしいです。
なので、その時は楽しく感じていました。
この後、この状況が一変します。
リーダー交代とスキルアンマッチ


前リーダーのギブアップと交代
多少精神的に余裕をもって作業していた状況が一変したのが、2012年4月末か5月頭の話。(プロジェクトに配属されて1か月が経とうとしたとき)
わたしのチームのリーダー(後輩でした)がメンタル的に限界と訴え、リーダーを降りることになったんです。
そして、そんなトラブルプロジェクトに余った人がいるわけもなく、そのままリーダーをやらされることになってしまいました。それはサラリーマンとして当然と思い、その時は受けました。
本当に無理なら受けなくてもよかったのかもしれません。
ここでも私は他人の目を気にしており、できない自分を責めないために受けていたとは思います。
いきなり配下40人余りのメンバーを従えるチームリーダーへの任命でした。
見積ができないと自分を責める日々
その時、当初の見積もりでは立ち行かないので、再見積もりの依頼がきていました。前リーダーの力を借りながら、なんとか見積もりをしていたのですが、わたし、見積もり苦手だったのです。
基礎がないというか、全体像が見えない状況で、しかも当プロジェクトの技術スキルも自分にアンマッチ。それでもやれるものだと上司には言われましたが、どうすればいいのかいまいちよくわからず。。。
見積もりについては、なんとなくでやってきたのは否めず、過去の苦い経験から苦手意識がすごくありました。
その上、実務経験が足りなかったので、不安で仕方がありませんでした。
その上、前リーダーと2人でやっていたことを、上司が気に食わなかったらしく、その上司にはリーダーになったのだから、腹くくって一人でやらなければならない。それができないのはおかしいと言われたのが、未だに記憶に残っています。
今はいきなり任命されたのだから、そんなんできるかい!って思いますが、その時はできない自分を責め続けていました。
この時、上司にできないというのが怖くて、やってことない、できないを言えずに抱えてしまいました。
そしてできない自分を責め続けるという悪循環です。
できないことはできないと言える人の方が仕事のできる人だと今は思います。
できないことを隠して、結果が出ない方が問題です。
リーダーになった当初はもう少し人数も少なかったのですが、トラブルプロジェクトだけに、増員してなんとかしようと上は考えて、日を追うごとに人が増えていき、気づいたらこんなに(40人あまりに)増えていたという感覚です。
残業過多、そして作業不能へ


全部自分でやらなくちゃ!と自分を責める日々
当時チームが大きすぎる故に、統制を取るのが難しく、リーダーといいつつ、雑用から何から何まで行わないといけない状況でした。
メンバーも当然のことながら忙しかったこともあり、毎週1回の顧客との進捗ミーティングに1人当たり40ページを超える資料を印刷する必要があり、それをリーダーの私自ら行うしかなく、その分作業時間が雪だるま式に増えていきました。配下のメンバーに印刷などを頼んでも断れらる始末。。。
会社の会議室をつぶして作られたプロジェクトルームに閉じ込められるような形で毎日作業をし、残業が2か月目で150時間、3か月目で170時間、4か月目で180時間超という過酷な状況になっていきました。
この時間は残業時間なので、それに通常の時間(平均20営業日×8時間=160時間)が足されるので、平均300時間超の作業時間になっていました。
それはつまり1か月に2か月分の作業時間を行っているということになっていたんです。
もはやこの時点ですべてがおかしいです。
それでも仕事が終わらないことすらも自分のせいにして責め続けています。
本来はここまで来ると、個人でどうこうできるレベルではありません。
そもそもスケジュールも遅れている中で、顧客にも内部の上司にも余裕がなく、終わるのか?いうリーダーであるわたしへの圧力はかなり酷かったと思います。(上司はさらに顧客に言われていたとは思いますが。)
スキルが足りないと自分を責める日々
加えて、このプロジェクトのシステムの仕様、技術スキルについても、わたしが得意な分野ではなかったことも、自己否定に更に追い打ちをかけた結果、自分を追い詰めて辛くしていたと今は思います。(参考までに私がバッチ処理とDBが得意、当システムがDBはおまけでオンライン処理がメイン)
自分である程度わかって、自分で手を出せると気持ちも楽だったのでは?と思ってしまうのは間違いなんでしょうね。
当時それができてしまったら、リーダーとしての作業以外も手を付け始め、作業時間はさらに長くなってしまったと思います。
そんな中、毎日のように終電、もしくはホテルに泊まる、会社に泊まるという生活を続けていき、休日もない状態で身体も心も疲弊していきました。
途中、目が疲れ、肩こりが酷すぎて、もともと持っていた片頭痛が酷くなったりもしましたが、会社にはなんとか出社していました。
この当時、本当に自己否定が酷くて、
- なぜわたしはできないのだろう?
- メンバーへの指示出しもうまくできないのはなぜだろう?
と日々自分に問いかけている状態でした。
もう自分でできること/できないことの区別もできない状態ではありますが、できないことまで責任を取る必要はありません。そのために何十人もの人がプロジェクトにいるのですから。
それでも個人でやらないといけなくなるのはメンバーが不足しています。人員不足のIT業界ではありがちではありますが、ここまで来る前に諦めることをお勧めします。
この生活を数か月続けた結果、わたしはまともに仕事ができなくなってしまうのです。
そして限界へ


手も頭も働かない
2012/8月初旬
そんな仕事の仕方(月の平均作業時間が300時間)で数か月を過ごした結果、新人、2年目でもできる単純作業を言われても、まったく頭が働かず、作業に対して手が動かなくなってしまいました。
うつ病というか、完全に限界を迎えると脳が機能停止するようです。初めて経験しました。(2度と経験したくないですが)
身体と心が休めと言っています。ここで休まずに進んでしまうと余計状態が悪化して、うつ病を寛解させるのに時間がかかってしまいます。これでも遅いですが、ここまで来たら休みましょう。
頭が働かないんです。真っ白という表現がしっくりきます。例えば、、テストケースのここをこういう風に直しておいてくださいと言われても、どうしていいかわからず、立ちすくむしかなかったのをぼんやり覚えています。
産業医面談
ここまでになってしまう1か月前に作業時間が多すぎるということで、産業医とは面談も行っていましたが、その時に言われたことは今でも忘れられません。
「休みたいなら、診断書書くよ!」
それを作業者に求めるのはどうなの?って思いませんか?
そりゃ回答は、
「まだなんとか頑張れます!」
になるじゃないですか!
わたしもそう回答しました。だって、残ったメンバーのことも気になるし、上司からも休みたいのか?みたいな目で見られると思ったからです。
この産業医の対応で何人かはリタイアすることができず、精神状況が悪くなったのではないかと思います。
こういう産業医って多い気がします。もちろんそうでない人もいると思いますが、こういう人に当たってしまったら、休みづらい自分の心を押さえつけてでも休みを選択しましょう!
産業医の先生に無理に休まされたと言っておけばいいと思います。(難しいのは重々承知してますが)
限界を後押しする家族への対応と無理して嫁さんの実家へ
日々、終電やタクシーでの朝帰り、ホテル、会社に宿泊ということを続けて、しばらくした時、上司から少し休むように言われて、丸一日休ませてもらう日ができたりしていたものの、それでも普通ではない作業時間をこなしている中、奥さんが実家に帰る時期がやってきました。
毎年夏になると、2週間程度実家に戻るのが習慣になっていて、わたしはその期間独り暮らしになっていました。
そして、この仕事の状況でしたが、小さい(その当時3歳)ムスメを連れて実家に行っていいかと聞かれました。
正直あんまり頭が働いていなかったこともあり、二つ返事でいいよと言ったと思います。
この仕事の状況では、週に一度休みを取れた時でも、ムスメを連れて少し遊んで、あとはマッサージに行ったり、寝ているなりで身体を休めることに専念していたので、一緒にいても何もできないし、義父母に孫の顔を見せるのは当然だと思っていたので、行った方がいいと思いました。
この時、行かないで欲しいとは言えませんでした。
そして、嫁さんと娘が嫁さんの実家に行ってからしばらくした後、例年であれば、一泊で奥さんの実家に行き、年に1度の義父母への挨拶をする時期がやってきました。
この状況では行けないだろうと思っていたのですが、チームのメンバーと上司の計らいで土日休みをいただけることになり(こう言ってる時点で何かがおかしいのですけど。。。)、その土日を利用して、奥さんの実家に行くことにしました。
土日の2日間休めることになったので、嫁さんの実家に行くことにしたわけですが、本来はこの2日間ゆっくり休んで、ボロボロになった肉体とメンタルを癒す時間に充てなければならないはずです。
でも、年に1回、義父母には挨拶しなければいけないという思いだけで、行くことにしたと思います。
こうして、行くことに決めたわたしは、疲れた身体を引きづって新幹線に乗り、その中でもひたすら寝ていた記憶があります。頭にはモヤがかかっていたまま、まったく働かない状態でした。
行った先でも座っていることもできないほど疲弊していましたが、自分の実家ではないので、寝ているわけにもいかず、フラフラな状態でただ倒れるのに耐えていただけでした。
娘を連れていったプールでも仰向けで浮いているだけで何もできませんでした。この時点で無理に来た意味はほぼなかったのですが、そんなことを考える余裕すらもない状況でした。
あとから気づきましたが、仕事の忙しさや鬱病というものについてわからない人にはまったく理解されないということです。嫁さんも義父母も私がそんな状態なのは理解できず、ただ疲れてる程度にしか見られていなかったと思います。
この状況下では自分の体調を優先していいと思いますし、家族を行かせること、自分も挨拶に行くことが男らしいとはき違えていた私の無意識の認知もありました。
勘違いした認知に左右された結果なので、うつ病の寛解には緩める必要あるものでした。別の機会にお話しします。
義父母に孫の顔を見せるのはこれからいくらでもできたはずでした。
そしてうつ病を発症し休みに
そして心療内科へ
産業医面談を受けてから1か月、正直地獄でした。
頭がまったく働かない中、気持ちだけが焦り続け、日々、上司、顧客に怒られることにビクビクし、メンバーがうまく動いてくれないことに自分を責め、毎日会社に行くことが苦痛でした。
後からわかったことですが、私は気質としてHSP(俗にいう繊細さん)で、周りのぎすぎすした雰囲気、顧客からのクレームなどでかなりメンタルを疲弊されていたようです。
HSP気質についても別の記事でまとめたいと思っています。
この状況に限界を感じ、先にリタイアしていた先輩に相談したところ、心療内科に行くことを勧められました。このままではわたしとしても、周りに迷惑をかけるだけという言い訳を自分にして、心療内科に行ってみることを決めました。
こういう時に人のせいや、言われたからというのを理由にするのはいいと思います。
今ではこんなことをしなくても自分から行動できると思いますが、当時の認知では罪悪感や自責の念が強すぎてこういう理由を持たなければ行動できなかったと思います。
心療内科へは、まずネットで自宅近くの心療内科を調べました。数件検索にヒットし、評価がよかったところから電話を掛けてみました。ところが、最初の数件は予約がいっぱいで、診察できるのが2~3週間先と言われてしまいました。(後から落ち着いて確認したところ、予約が取れなかったところはカウンセリングとセットになっているところでした。)
現時点で限界だと思っているのに、診察を受けるまでの2~3週間、なんの診断もなく頑張れると思えなかったので、別のところに電話をしました。すると1件だけすぐに診察できるというところがあって、藁にもすがる気持ちでそのクリニックに行きました。予約すらいらないと言われたので、すぐに行ったのを覚えています。
心療内科に行ってみると、まずは現在の状況をヒヤリングされ、食欲や眠れているか、頭痛などがないか、朝会社行くときはどうかなど、恐らく鬱病が疑われる人にする基本的な質問だったと思います。
その結果、さらっと
「うん、うつ病だね。心の風邪みたいなもんだから。診断書書くんで、会社は休みましょう!」
と言われたと思います。その先生の言い方が、割と軽かった記憶があります。
そして、2種類の薬(パキシル、ロゼラパム)を処方され、その日が帰宅しました。
その2種類の薬を飲むと、気持ちは楽になって、ものすごく眠くなった記憶があります。飲んですぐに寝てという状況だったと思います。
身体も疲れ切っていたのもあるとは思いますが。。。
まとめ
とまぁこんな感じでうつ病になってしまったわけですが、原因となっているのは以下のようなことかと思っています。
- 仕事ができないという自責の念が強すぎる
- 不安を不安と口にできずに抱え込んで相談できない(ずっと不安なまま)
- できない自分は誰かに頼むのもできない、作業時間が増えるのも当たり前という誤認
- HSP気質も含め自分の取り扱いが良く分かっていない
- 男らしさのはき違え、弱いところを見せるべきではないという平気な振り
と、ちょっと考えただけでもこれだけあります。世の中の同じようにうつ病になってしまった方の中にも、同じような原因でなってしまった方、別の原因の方がいらっしゃるかと思いますが、うつ病を治す、予防するのに無意識の認知を知ることがとても重要であることをあとで知り、それを改善することで寛解することができました。
その辺の寛解に至る無意識の認知の緩め方を今後記事にしていこうと思います。
以上、システムエンジニアはこうやってうつ病になるでした。私と同じような人が早めに休めることを祈って。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。