「正論」の前に「共感」というクッションを──ベテランSEが現場の摩擦を最小限にするための「伝え方」のリファクタリング

目次

はじめに:なぜベテランの「正論」は時に跳ね返されるのか

IT業界で30年近くキャリアを積んでくると、私たちはある種の「最適解」を瞬時に見出す能力を身につけます。システム構成、工数見積もり、優先順位の付け方。現場で発生する問題の多くは、論理的に考えれば自ずと答えが出るものです。

しかし、その「論理的な正解」をそのまま相手にぶつけた時、予期せぬ摩擦が生じることがあります。 「工数が足りないから、この機能は後ろ倒しにします」 「仕様が決まっていないので、着手できません」

これらは事実であり、正論です。しかし、この言葉を受け取った顧客や他部門の担当者から「冷たい」「寄り添っていない」という、論理とは無縁の感情的なフィードバックが返ってくる経験をしたことはないでしょうか。

私自身、最近このような場面に直面しました。物理的な限界に基づいた優先順位の調整を提案したところ、相手から「こちらの状況を分かってくれないので、タスクを頼むのを躊躇してしまう」という、予想外の反応が返ってきたのです。

かつての私なら「何を言っているんだ。数学的に不可能なものは不可能なのだから、躊躇するも何もないだろう」と、心の中で一喝していたかもしれません。しかし、30年という地層を積み上げてきた今、私は立ち止まりました。そして、自分の「伝え方」をリファクタリングする必要性を感じたのです。

今回の記事では、ベテランSEが現場の平穏を保ちながら、かつ自分の仕事のクオリティを守るための「共感クッション」という技術について深く掘り下げてみたいと思います。

第1章:「正論」は刃物であるという自覚

1. ロジックは「正しさ」であって「納得」ではない

エンジニアリングの世界はバイナリです。0か1か、できるかできないか。この明確さが私たちの武器であり、信頼の源泉です。しかし、対人コミュニケーションにおいては、この「明確さ」が時に冷徹な刃物として相手に突き刺さります。

相手が無理な要望を言ってくる時、その背景には必ず「不安」や「社内でのプレッシャー」が存在します。彼らもまた、無理だと分かっていて言わされているのかもしれません。そこに私たちが「物理的に無理です」と100%の正論を叩きつけると、相手は自分の逃げ場を塞がれたように感じ、自己防衛のために「感情的な反発」というカウンターを繰り出してくるのです。

2. ベテランだからこそ陥る「スキップの罠」

私たちは経験豊富ゆえに、結論に辿り着くまでのスピードが速すぎます。相手が話し始めて3分で、私たちは「結論:工数不足」という答えを出してしまいます。そして、相手が10分かけて話そうとしている残りの7分を、無意識のうちに「非効率な時間」として切り捨て、結論だけを伝えてしまう。

この「思考のショートカット」が、相手には「話を聴いてくれない」「機械的だ」という印象を与えてしまうのです。ベテランに必要なのは、自分の頭の中では結論が出ていても、あえて相手と同じ速度で歩く「スロー・コミュニケーション」の余裕です。

第2章:「共感クッション」の設計と実装

では、具体的にどのように伝え方を改善すればよいのでしょうか。私が実践しているのは、ロジックを出す前に「共感」という柔らかいクッションを敷く技術です。

1. 「困りごと」を言語化して鏡合わせにする

相手から無理難題を突きつけられたら、即座に「でも」「しかし」と反論するのを止めます。まずは、相手が置かれている状況をそのまま言葉にして返します。

「なるほど、〇〇様としては、上層部からの急な指示で今週中にこのレポートをまとめなければならず、非常に苦しい状況にいらっしゃるのですね」

このように、相手の「事実」ではなく「感情的な状況」を要約して伝えます。これだけで、相手は「この人は自分の苦労を理解してくれた」という安心感を得ます。これを心理学では「ミラーリング」や「アクティブ・リスニング」と呼びますが、現場では「味方であるという意思表示」として機能します。

2. 「期待に応えたい」という意思をOSに組み込む

次に大切なのは、できない理由を述べる前に「本当は助けたい」というポジティブな意図を表明することです。

「本来であれば、すぐにでも着手してお力になりたいところなのですが」 「私もこのプロジェクトを成功させたいという思いは共通です」

この一言があるだけで、その後に続く「工数不足による延期」という冷たい事実が、共に問題を解決しようとする中での「苦渋の選択」というニュアンスに変わります。

3. 「決断」のボールを相手に渡す

ベテランはついつい「私が判断してあげた」というスタンスになりがちですが、これは相手のプライドを傷つけます。共感クッションを敷いた後は、論理的な制約条件を提示した上で、最終的な選択を相手に委ねる形を取ります。

「今のリソースをフル稼働させると、AとBのどちらか一方は確実に完遂できます。〇〇様の今の社内状況を鑑みると、どちらを優先するのが最もリスクが少ないと思われますか?」

このように、相手を「判断の当事者」に引き込むことで、後ろ倒しになったタスクは「私に拒否されたもの」ではなく「顧客が納得して選んだ順序」へと変換されます。

第3章:現場の摩擦をエネルギーに変える「大人の余裕」

こうした「共感」のプロセスを、一部の人は「時間の無駄だ」「媚びを売っている」と感じるかもしれません。しかし、私はそうは思いません。これは、プロジェクトを円滑に走らせるための「必要不可欠なメンテナンス」なのです。

1. 「寄り添い」は戦略的なリソース管理

上司から「もっと顧客に寄り添って」と言われた時、それを「何でも言うことを聞け」と解釈すると疲弊します。しかし、「相手の感情的なコストを下げて、こちらの提案を通しやすくする戦術」と捉えれば、それは高度なマネジメントスキルになります。

相手の機嫌を損ねて1時間のクレーム対応に追われるより、冒頭の5分間で丁寧に共感を示し、スムーズに本題に入る方が、結果として私たちの自由時間は増えるのです。

2. 自分の心を「デバッグ」する

相手が理不尽なことを言ってきた時、私たちの心には怒りという「エラーログ」が吐き出されます。しかし、そのログをそのまま相手に投げ返してはいけません。

「ああ、今自分はイライラしているな。それは相手が論理的でないからだ。でも、相手は今パニック状態で、助けを求めているだけなんだな」 自分の感情を一歩引いて観察する「メタ認知」の視点を持つ。この余裕こそが、若手にはないベテランの「最新のOS」です。

3. 負の感情を「取材」に変える

それでも、どうしても納得がいかない、うんざりするという瞬間はあります。その時、私はこう考えるようにしています。 「この不条理なやり取りは、ブログの最高のネタになる。どう言語化すれば、同じ悩みを持つ仲間に届くかな?」

今日のクレーム、今日の理不尽、今日の疲弊。それらすべてを「資産」に変えるための「取材時間」だと定義し直すのです。そう思うと、目の前の厄介な状況も、少しだけ客観的に、面白がって眺められるようになります。

第4章:しなやかさを支える「私生活」という基盤

こうした「しなやかな対応」を仕事で続けるためには、私たちの「精神的なバッテリー」が満たされていることが絶対条件です。心に余裕がなければ、共感のクッションなど敷くことはできません。

私にとって、そのバッテリーを充電してくれるのが、日々のルーティンです。 出社時の昼休み、スマートフォンの通知を切り、一冊の本に没頭する。仕事の理不尽さを、全く別の知見で中和する時間です。 そして、仕事帰りにジムへ寄り、スタジオプログラムで全身を動かす。体内のストレス物質を汗と共に流し出し、脳をリセットする。

こうした「自分を整える時間」が確保できているからこそ、翌日の会議で不条理な言葉を投げかけられても、「まあ、そんなこともあるよね」と笑って受け流せる余裕が生まれます。

仕事のために私生活を犠牲にするのではなく、仕事でプロとして振る舞うために、私生活を徹底的に大切にする。この循環こそが、ベテランSEの健全な生き方だと確信しています。

おわりに:引き算で完成する「ベテランの強さ」

若い頃の私たちは、いかに「正しく、速く、多く」をこなすか、そればかりを追い求めていました。。しかし、50代を迎え、30年のキャリアを超えてきた今、必要とされるのは「引き算」の強さです。

自分の「正しさ」を証明しようとする執着を引き算する。 すべてを自分の思い通りにコントロールしようとするエゴを引き算する。

その空いたスペースに、「相手の困りごとに共感する」という小さなクッションを置くだけで、現場の景色は驚くほど変わります。

私たちは、システムを直すことはできても、人の性格や組織の文化をすぐに変えることはできません。しかし、入力される不条理な刺激に対して、自分がどう「反応」をリファクタリングするかは、いつだって自由です。

「正論の前に、共感を。」

この小さな習慣が、あなたの、そしてあなたの周りの人たちの明日を、少しだけ柔らかいものにしてくれることを願っています。

さあ、明日の会議では、まず相手の「大変さ」を要約して伝えることから始めてみませんか? その瞬間に生まれる「心の余白」こそが、あなたが30年かけて手に入れた本当の技術なのです。

この記事を書いた人
たなやん
  • システムエンジニア歴20年以上
  • 2年でうつ病を完全寛解
  • 現在はうつ病以前よりメンタルを楽に仕事に従事中
  • HSP気質を持つもそれも力に!
  • 心理学系講座講師

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