【うつ病体験談】HSPなシステムエンジニアがうつ病になってから仕事復帰まで

過度な仕事の現場でリーダーをした結果うつ病になってしまった私ですが、寛解するまでに一旦2年、完全寛解というか、今後うつ病になることはないと自信を持てるまでに更に5年かかりました。

それまでにやってきたことを記事にして、読んでいただける方がショートカットして、うつ病からの脱出するヒントを得ていただけたらとこの記事を書いています。

私が費やした7年は無駄ではないと思いますが、短縮できればそれだけ前に進めるのが前倒しになると思います。

是非、自分の無意識の認知、自分で自分をどう思っているかを理解して、完全寛解に向かってください。

今回は、うつ病になってしまった後、仕事に復帰するまで書いていきます。

今回の記事で分かること

  • 一般のサラリーマンである私がうつ病になった後の流れ
  • 仕事復帰に向けての流れとその一例
  • 無理しなくてもいいポイント

休み直後はただただ休むことに

心療内科でうつ病と診断され、診断書を書いてもらい会社に提出、すぐに会社を休むことになりました。

うつ病を治すために第一段階はとにかく休むこと。

特に私のように精神だけではなく身体的にも大きなダメージを負ってしまっている場合、寝不足や疲労を抜くためにひたすら寝ることが大事です。

ただ、この状態になったときでも私自身は可能な限り早めに復帰する気でいました。

それこそ1週間くらい休んだら、なんとかなるだろうくらいに思っていたというか、仕事に戻らなければならないと思っていました。身体が疲れているだけなんだ、早く会社に戻って作業しなくちゃ!って頭では思っていました。

この当時、半年の間ずっとほぼ休みなしに会社に行っていた私が、急に仕事をせずに休むことになってしまって、どうしていいのかは正直分からなかったことと、休みに入った直後の数日は、あの作業はどうなった?代わりに入った人はどうしているだろう?という思いが強かったため、復帰を第一に考えたのだと思います。

そんな風に頭で考えていても、疲れ切っていたのと、飲んだ薬の影響で頭は働かず、ずっと目の前にモヤがかかったような感じで一日中ぼーっとしていたのを覚えています。

自分がこんな状況になる前から、仕事のあまりの過酷さに、多少うつ病とかメンタルヘルスについてのネットの記事などを読んでいたので、家から出て日光を浴びるとか、緑の多い場所に行くのが良いなど、情報は得ていました。

なので、休みに入ってからの数日はひたすら寝てましたが、そこから家から出るようにしました。

家から出るといっても当時3歳だった娘を連れて、公園に行く程度。一緒に遊びこともあまりできず、娘が砂場で遊んでいるのを見たり、ブランコに乗るのを後ろから押してあげたり、あとはぼーっと木とか花とかを見ていました。

今思えば、普通の父親ができない、小さい子供と長い時間を共有することができて幸せだったのかもしれません。未だにその時の記憶が鮮明に残っています。

1週間が過ぎたこと

心療内科に行った結果を報告したところ、会社から1週間の休みを命じられ、薬を飲みながら休んでいたのですが、次週からの復帰を考えていたわたしに、会社からもう一週間休むようにと連絡がありました。

薬のせいもあって、頭はまだぼーっとしていたので、休みをくれたのは助かりましたが、気持ちは焦っていました。その時考えたことは、

  • こんなに休んで、復帰した時の状況はどうなっているのだろうか?
  • メンバーはどうなっているのだろうか?
  • そこに戻って自分は仕事ができるのだろうか?


基本的には完全ネガティブ思考。

不安な気持ちがすごくあり、戻ることが怖いというのもあったと思います。

そして一時復帰へ

そんな生活を続けながら、身体と心を休めていき、体力的には普通の状態になったと思われたくらいで合計2週間のお休みが終わりました。

そこで会社に復帰することになっていたので、ただ不安を感じながら職場に行きました。

復帰当日、もう記憶も曖昧ですが、ほとんど仕事をせず、早めの時間で帰ったと思います。

久しぶりに会ったメンバーに労われた記憶がありますが、なんか申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

その日に人事部の人と話をし、次の日に会社の保険センターで産業医面談を受けてくるように言われました。

今の現状を産業医に見てもらう必要があるとのことでした。

またあの産業医と会わないといけないのか?というのがすごく憂鬱だった記憶があります。

完全に信用は無くしていましたし、なんか腹立たしさもあって、顔もみたくない感じでした。

うつ病になった要因の一つがその産業医の先生にあると思ったのだと思います。

そして、次の日、保健センターに向かいました。

保健センターでは個室に通され、そこには産業医の先生と看護師の方が1人いました。産業医の先生は前回の先生とは違う人で、ちょっと安心したのを覚えています。

そこで心療内科で受けたようなヒヤリングをされました。現状はどうなのか、食欲や不安感など一通り聞かれたと思います。

その結果、今月いっぱい休みなさいということになりました。わたしとしては前日に職場に行っていたし、作業時間の制限がつけられることはあっても、職場復帰はそのままするものだと思っていました。

そのあと、看護師の女性と話をすることになり、この状況になるまでの話をしたのと、今後の生活についてのアドバイスなどをもらったと思います。

とりあえず上司にそのことを報告し、家に帰りました。

ちょっと拍子抜けな感じで休みが継続になったのでした。

本当の復帰を迎えて

心療内科に行ってから一か月のお休みをいただいて、ついに復帰の日を迎えました。とはいえ、いきなり仕事に就くわけではなく、保健センターに行って産業医面談を再度受けなければいけませんでした。

状況として復帰して問題ないのかの判断というわけです。

心療内科の先生には、復帰してもいいけど、もう少し休んでもいいよと軽く言われた気がします。

一瞬「休もうかな。。。」と頭をよぎった記憶があります。

ここで本当はもう少し休むべきだったと今は思います。
気持ちだけが逸って早く復帰することしか考えていなかったので、ここで復帰してしまいました。
同じような状況の方は、冷静に考えたり、他の人の意見に耳を傾けて休むことを選択していただきたいと思います。

それで産業医面談の結果は、とりあえずOKだけど、作業時間はしばらく定時間しか働いちゃダメ!と言われました。

看護師の方も心配してくれて、心配なこととかあったら、いつでも来ていいから連絡をくださいと言ってくれました。
産業医の先生より話を聞いてくれた気がします。こんな人の話をしっかり聞いてくれる人がいると思って、救われた気がしました。

作業時間の制限があることで、ちょっと安心しつつ、それでも現場復帰には不安がありました。
仕事できるのか?と。

休む直前、頭が真っ白になって、簡単な仕事もできなくなったり、お客さんや上司に怒られたりした記憶が蘇ったりしました。それを思うと、ただただ不安になって、薬を飲んでいたと思います。

次の職場がどこなのかというのも、不安の一因でした。まったく知らない職場で、同じように厳しいお客さんだったらとか、自分がまったく知らない技術の現場だったりとかいろいろ考えました。

同じように仕事ができなくなって、怒られたりするのでは?と思うと行きたくないなぁと思っていたような気がします。

といった形で、今考えると1か月というスピードで無理やり復帰して、職場に戻りました。

まとめ

これが、うつ病になって休んでから職場復帰するまでの流れです。

基本的には、私のように限界を迎える少し前には休むことを選択できるかが、軽傷で済むかの分かれ道ではないかと思います。

私の場合でも、一般的にはまだ軽傷なのかもしれません。薬の量、種類も少なかったですし、とりあえずでも1か月というスピードで復帰できたのは、限界の手前で休みに入れたことがよかったのかと今では思います。

私のように限界近くの状態で、会社のことや作業のことを考えていること自体が、無意識に行っていることであり、これに気づかないと同じように行動し、うつ病を再発させてしまう原因になります。

この記事の中で、私がうつ病を寛解させるまでの道のりを今後も公開していこうと思いますので、可能な限りショートカットしてできる方が増えて欲しいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。まだ次回!

この記事を書いた人
たなやん
  • システムエンジニア歴20年以上
  • 2年でうつ病を完全寛解
  • 現在はうつ病以前よりメンタルを楽に仕事に従事中
  • HSP気質を持つもそれも力に!
  • 心理学系講座講師

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!