「それも勉強」という思考停止にどう抗うか。──非効率な会議でベテランが密かに行う「脳内デバッグ」の技術

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序論:10人の時給を溶かす「沈黙」と「正論」

その会議は、予定時間を大幅に過ぎていた。 参加者は画面越しに10名以上。全員がいわゆる「プロ」のエンジニアやプロジェクトマネージャーだ。

スピーカーから流れてくるのは、顧客側の管理者が、ある担当者の初歩的なミスや理解不足に対して延々と続けているレクチャーの声。それはアドバイスというより、公開説教に近い重苦しい空気を含んでいた。

10分、20分。時計の針が刻む音とともに、私は脳内でコストを試算する。 10人以上のシニアクラスのエンジニアの時給を単純計算すれば、この数十分で数万円、あるいは十数万円のコストが、「沈黙」と「二度手間、三度手間になった説明」の中に溶けて消えていく。

耐えかねた私が、効率的な進行を求めて「この件は別途、後ほど調整しませんか?」と介入を試みようとした時だった。顧客側の管理者から、静かに、しかし拒絶の色を帯びた言葉が放たれた。

「いや、これも彼らにとっては『勉強』ですから。じっくりやりましょう」

その瞬間、私は口を閉じた。「勉強」という、一見ポジティブで、しかし実務においては恐ろしく破壊的な「思考停止の正論」に対し、現場を効率化しようとするロジカルなナイフは一切通じない。

介入できない理不尽。善意の皮を被った非効率。 それが今の私の、そして多くの現場を知るベテランが直面している、解消しようのないストレスの正体だ。

第1章:「勉強」という言葉が隠蔽する「コスト意識の欠如」

エンジニアにとって、「勉強」は絶対的な美徳だ。技術の進歩が光速で進むこの業界において、学びを止めることはエンジニアとしての死を意味する。 だが、それは本来「業務時間外」の研鑽や、割り振られた「個人のタスク」としての話であるはずだ。

10人以上のプロフェッショナルを招集した公式な会議の場で、特定の個人の基礎知識を補完するために、全員の手を止め、思考を拘束する。これは果たして、本当に「勉強」と呼べるものなのだろうか。

1. 「時給」という概念の消失

管理者が「これも勉強だ」と言い切る時、そこには参加者全員の時間を奪っているというコスト意識が完全に欠落している。 一人1万円の時給だとして、10人で1時間。10万円のコストをかけて、一人の若手に「マンツーマンのレクチャー」を聴講させている計算になる。

その10万円という投資に見合うリターンが、その場にいる他の9人に本当にあるのか。冷静に計算すれば、その答えは火を見るより明らかだ。

2. 組織の「甘え」の露呈

本来、会議の本質は「決断」を下すことであり、「教育」を施す場ではない。 教育が必要なら、別途メンターを付けるなり、資料を渡すなりして時間を設けるべきだ。それを会議と混同することは、マネジメントの放棄であり、組織としての甘えに他ならない。

しかし、こちらが業務委託やパートナーという立場であれば、顧客が掲げるその「教育方針」に真っ向から異を唱えることは極めて難しい。

正論を振りかざして角を立てれば、今後のプロジェクト運営や関係性に響く。 この「論理的に正しいことが言えない」という事実に、ベテランのメンタルは静かに摩耗していくのだ。

第2章:介入できないなら「心」まで差し出さない

30年という月日をエンジニアとして生き抜き、荒波を越えて辿り着いた一つの生存戦略がある。 それは、「介入できない理不尽な時間には、自分の心まで差し出さない」ということだ。

責任感が強く、真面目なベテランほど、こうした非効率な会議に遭遇すると、脳内で「もっとこうすればいいのに」「なぜ誰もこのミスを指摘しないんだ」と、見えない敵と戦ってしまう。

だが、それこそが罠だ。組織の不条理と脳内で戦い続ける限り、自分の精神エネルギーは一方的に削られ続けてしまう。

私が最近、意識的に実践しているのは、その不毛な場を「人間観察という名のデバッグ対象」に切り替える手法だ。

1. 感情をオフにし、ログを眺める

目の前の人々を、仕事仲間として見るのを一度やめる。 「この管理者は、なぜここでマウントを取るような言い方を選択するのか?」「この担当者は、なぜ同じ質問を何度も繰り返してしまうのか?」 彼らを一人の人間ではなく、バグだらけのレガシーシステムの「振る舞い」として客観的に観察するのだ。

すると、不思議と怒りはスッと収まり、彼らが「修正すべき不具合」ではなく、「解析しがいのある興味深いサンプル」に見えてくる。

2. 「脳内ファシリテーション」のシミュレーション

口には出さないが、頭の中では徹底的にシミュレーションを行う。

「もし私がマイクを握れるなら、ここでこの質問を投げれば、議論は3分で収束する」「このスライドの論理的欠陥が、今の混乱を招いている根源だ」 これは、自分のファシリテーション能力や状況判断力を錆びつかせないための、最高に高度な脳内トレーニングになる。

第3章:ベテランが守るべきは「全体の利益」より「自分の平穏」

若い頃の私は、現場の正義のために真っ先に戦った。 非効率なプロセスを叩き潰し、最短ルートを提示することこそがプロの正解だと信じて疑わなかったからだ。

しかし、50代になり、30年というキャリアの地層を積み上げてきた今、私の考え方は少しずつ変化している。

大きな組織の文化や、凝り固まった人間関係を変えるには、個人では到底賄いきれないほどの膨大なエネルギーが必要だ。そのエネルギーを使い果たし、自分自身が「ヘロヘロ」になって、私生活や健康を害してしまっては元も子もない。

1. 「賢い諦め」というスキルの習得

顧客の文化が「非効率な勉強会」を良しとする古い仕様であるなら、それはその組織にとっての「デフォルト設定」なのだ。仕様に対していくらバグ報告を重ねても、「それは仕様です」というステータスで返されるだけなら、それを受け入れるしかない。 戦うべき場所を選び、それ以外は「諦める」。このしなやかな諦めこそが、ベテランの生存率を上げる。

2. 負のエネルギーを「資産」に昇華させる

このイライラ、この理不尽、この「どうしようもなさ」。 それを、単なるストレスとして体内に溜め込むのではなく、そのままブログの記事としてアウトプットする。

「ああ、今私は最高の記事ネタを、ライブで仕入れている最中だ」 そう思えば、無駄な会議の1分1秒が、将来の収益を生むための「貴重な取材時間」へと反転する。

実際、ブログ記事を日々作成できているのは、こうした日々の「負のエネルギー」を言語化し、誰かの共感を呼ぶ「資産」に変え続けた結果なのだ。


結論:レガシーな現場で「自分」という最新システムを維持するために

私たちは、自分の思い通りにならないレガシーな現場で働き続けている。 「それも勉強」という名の思考停止。 いつまで経っても動かない古いコード。 理解し合おうとしない、あるいは理解できない人間関係。

それら全てをリファクタリング(修正)して、美しい世界に作り直すことは、悲しいかな不可能だ。

しかし、システムに入力されるデータ(不条理)を、自分の脳がどう処理するかという「受け取り方」だけは、いつでもデバッグできる。

非効率な会議の最中、私は静かにカメラをオフにする。あるいは、感情を消した無表情を保ちながら、ノートの隅にこう書き記す。

「今日のこの無駄は、明日の記事のスパイスになる」

30年目のエンジニアが持つべき本当の生存戦略とは、高度な技術力以上に、この「しなやかな諦めと、負を正に変える転換の技術」にあるのかもしれない。

明日もまた、おそらく理不尽な会議が始まるだろう。 だが、その時私の脳内では、新しい記事のビルドが始まっているはずだ。

この記事を書いた人
たなやん
  • システムエンジニア歴20年以上
  • 2年でうつ病を完全寛解
  • 現在はうつ病以前よりメンタルを楽に仕事に従事中
  • HSP気質を持つもそれも力に!
  • 心理学系講座講師

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