うつ病になった後、2回ほどうつ病を再発しかけました。
まずはその1回目についてです。
職場復帰を果たしてから約8か月。うつ病になったプロジェクトで細々と作業を続けました。

その8か月でだいぶ回復し、産業医の面談でも良好と言われ、ついに就業制限も外れて新しい職場に異動することになりました。
その時に危うくうつ病が再発しそうになったことを書いていこうと思います。
就業制限解除後の初めての職場

就業制限が解除されるということは、残業が解禁になるということです。
しかも、私がうつ病になったことを知らない人たちの職場に行くということは、そういう目で見られることなく、仕事を振られるということになることを意味しています。
これも私の不安を煽りました。
いきなり職場を異動してやっていけるのだろうか?また失敗(私が思っているだけですけど)するのではないかと。
行く先は過去に同じチームになったことがある人がリーダーになっており、管理に私がうつ病になる直前にメンタルに対して病院に行けと言ってくれた人のいる職場。
知っている人はいるというところは心強いとは思うものの、どんな仕事をするのか、他にどんな仕事をするのか、顧客はどんな人なのか分からないので、行くこと自体が嫌だった記憶があります。
出社当日、不安な気持ちのまま、行ったことがない駅だったこともあり1時間以上前に到着し、駅前のマクドナルドで時間を潰しました。
とりあえず初めての現場に到着し、仕事内容をいろいろ聞いて作業開始。
正直困りました。やったいことがないことだったからです。
いろんな意味でつらい毎日

システムエンジニアの仕事は多岐に渡ります。
一般的には設計から始まり、プログラミング、テスト、リリース後の運用といった流れになりますが、そのどの工程を経験するかはその時の配属次第。しかもこの一般的な工程の中にもどの技術が必要かでまた分かれていきます。
この現場、私の経験したことがあるUNIXを私が触ったことがあるので、配属されたようですが、一番の肝の部分がプログラムではなくインフラ(サーバーの設定など)であったため、まったくわからないというかやったことがない領域。
この部分の運用だったために、勝手がわからなすぎてとまどう毎日。
うつ病上がりの私には、ただただつらい。
薬飲んでないとやってられない。
途中から顧客への報告もしなければならなくなり、わからないなりに報告していました。
週に1度のこの進捗報告会がこれまた苦痛。
インフラ(ハードウェアそのもの)の担当の方から聞かれることも多いのですが、まともの答えられない、、、
そして一番困ったのが夜間の問い合わせ。何か問題があった時に電話がかかってきて自宅から対応するというもの。
それが、どこを調べればいいのかがわからないことが多いため、電話がかかってくること自体が恐怖。
電話がないことを祈って布団に入る毎日。
極めつけは、当初先に入っていた協力会社の方。
この人から作業を引き継ぐ計画になっていたみたいなのですが、技術力はあるものの、毎日飲んでいるらしく、横の席で酒臭い。しょっちゅう居眠りをしていたりする。
ただ、この時期、交代要員のあてがなかったということで、やめてもらうわけにもいかず、、、
そんな中私に白羽の矢が立ったということみたいでした。
顧客への報告、対応の仕方、技術的なことのすべてをこの人から引き継がなければならないのに、この人は仕事にやる気がないこともあり、しっかり教えてくれることがありませんでした。
見て覚えろ的な教え方だったので、知らないことが多かったこともあり、どんどんパニックを起こして不安を増大させるだけ。
落ち着いて対応することなんてできず、焦る気持ちだけが先行していきました。
リーダーは無駄に切れる

もう1点、私の精神を蝕む要因がありました。
それは、そこのリーダー。基本はいい人なのですが、何が納得いかないのか、お客に対して切れ気味な発言が多く、打ち合わせの場でそういうやり取りになっていまい、それを見ているこちらは辛くてしょうがない。
後で気づきましたが、私がHSP気質の私は周りで怒りというものを振りまいているのを見るだけで精神が削られてしまいます。
ただでさえうつ病上がりで自己肯定感が低く、自分の仕事に自信がない状態だったので、顧客から助けを求められてもなんとなくごまかすことしかできませんでした。
しかもこのリーダー、腰痛が酷く、結構な確率で会社を休みました。
なので、現場の雰囲気が悪くなったり、何かを請け負った後にいないということが少なくなく、その都度対応しなければならなくなります。
でもわからない、焦る、不安になるの繰り返し。
うつ病が再発しそうになったこと

こんな生活を送っている中で、やらされる仕事は増えていくのに、例の人の態度は変わらず、むしろ酒の量が増えていきました。
そのことにも怒りを覚えるようになり、そんな状況の中で仕事ができない(覚えていけない)自分もダメだと思うようになりました。
この現場結局1年以上いたのですが、以下の4つで精神状態がどんどん悪くなっていったのだと今は思います。
- 自分が仕事できないことへの焦り
- 知らないことが多いことへの不安
- しっかり仕事をしてくれない人への怒り
- 顧客に切れて場の空気が悪くなること
こんな状況の中で仕事をし続けたら、そりゃメンタルきつくなりますよね。日々、焦燥感と不安を抱えて、その解消ができないままだったのですから。
この仕事をやってた1年くらいの間に、管理をしていた上司に何度か相談をしましたが、あまりいい回答も得られず、耐えるしかなかったのを覚えています。
仕方がないので、薬を飲んで、心療内科に通いながら仕事を続けていた感じです。
そんな現場の救い

この現場で1年以上続けていけたのは、大きく2つのことがあったからです。
- 知っている技術での仕事が1つだけあったこと
- 顧客、チームメンバーに良い人が多かったこと
①はUNIX上で作成するシェルスクリプト。
これだけは誰に教えてもらうことなくできたので、この作業をしている時だけは気持ちがすごく楽でした。
知っていることがこれだけ精神を安定させるのかとこの時本当に思いました。
これがなかったら、早い段階でギブアップになったかもしれません。
②は酔っぱらい以外のチームメンバー、顧客がいい人ばかりだったことです。
日々の仕事でも無理難題をいうことなく、仕事の調整もしてくれ、その分私の負担が減ったことは確かです。
このプロジェクトから離任するとき、急な離任になってしまったのですが、それでも送別会を開いてくれ、送別品までいただきました。(この送別会、リーダーと酔っぱらいの人はいませんでした。なんだかね。)
しんどいことが多かったのですが、いい経験がさせてもらえたと思っています。
まとめ
この現場でうつ病になりかけた原因は日々のストレスでした。
この現場で再発しそうになった原因は、
- 知らないことでも、できなければならないと思っていたこと。
- 嫌なことを嫌と言えなかったこと
あとで気づきましたが、システムエンジニアの仕事は多岐に渡ると言いましたが、ここまできつければ異動願いをすることは全然可能です。
特にうつ病上がりの状態なので、無理をすることはなかったのだと思います。
それと知らないことでもできなければというのは後で気づいた認知です。
この認知については別の記事にしたいと思っています。
こういった認知のせいでうつ病になり、そして再発しそうになったとわかったからです。
今回としては、システムエンジニアの仕事で配属された先では
- 全部できると思わず、できないこともあると思うこと。
- 合わない人は確実にいて、すべてに合わせなければならないわけではないこと
これだけ覚えておいてください。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
また次回。