現在システムエンジニアとして20数年仕事をしていますが、2013年にうつ病を患いました。
どうやってうつ病になったかは以下の記事を読んでみてください。

別記事でも書いていますが、うつ病になるのは仕事の過酷さだけではありません。
過去の仕事を振り返って、うつ病になってもおかしくなかったなと思う仕事の現場が、実際にうつ病になったものを除いて2つあります。
1つ目は以下を読んでください。

今回はもう1つについて記事にしようと思います。
ここでも無意識の認知でメンタルにダメージをたくさん受けて、かなりしんどくなったので、同じような体験をされている方はの参考になればと思います。
パワハラを受けた現場を抜けて参画
上記の記事で書きましたが、パワハラを受けてうつ病になりかけた現場は、最終的に十二指腸潰瘍になりかけてチームを抜けました。
その後、同じ現場の別チームへ配属されましたが、そのチームのマネージャーもパワハラ気質だったため、結果約1年でその現場自体から異動することになりました。
理由は、私のメインスキルがC言語、UNIXであったことが大きく、特にC言語の技術者が当時社内に少なく、別の現場で必要になったために呼ばれたからでした。
正直、転職後の最初の現場で酷いパワハラを受けてしまったため、次の現場でも同じようなことになるのでは?と不安だったことを覚えています。
そして行った先は、自分の会社内ではなく、お客様先に入り込んで作業をする現場でした。
前の会社で経験したことのある作業環境ではあるので、その点については知らないという不安はありませんでした。
なぜか役に立ったパワハラ現場での経験
新しい現場に配属され、仕事内容を説明してもらい、実施する作業内容がお客様主導の元、大手の会社さんがコンサルしている中、一部のサブシステムを担当するものでした。
作業工程としては詳細設計、開発、単体テスト、結合テストまで。
そこでびっくりしたのが、パワハラを受けながら必死に作業していた経験があったおかげ?で、仕事内容がすんなり頭に入ってきたことです。
設計書の書き方、開発の進め方など、苦しんでやったことをなぞっていくだけで進められるのです。
業務内容の説明や資料のありかなども丁寧に説明してもらえたので、理解も早く、遅れている担当者の作業を手伝うことができる余裕がありました。
当時、会社に行くのが楽しくて仕方がなかったことを覚えています。
その後、顧客からの信頼も得られたのですが、それ以外のメンバーに問題があったのか、一人、また一人と抜けていきました。
そして最終的に当時のリーダーが抜けてしまい、補充要員もはまらず、結果一人になってしまいました。
一人になったその後で
現場に一人になった後、担当しているシステムの改修などを進めていました。
そこまではストレスを抱えることなく、楽しく仕事をしていたと思います。一人で残った後も、一緒に仕事をしていた他社の諸先輩方を師事して、技術スキルも得られたことで仕事を円滑に進められたと思います。
ただ、そこで新しい人を入れたり、自分より上位のメンバーを入れれば、ビジネスとしては広がっていったのだと思います。
当時の私は前職や全現場で1メンバーとして仕事をしていたので、その辺りがまったくわかっておらず、転職したばかりで社内へのネットワークもありませんでした。
なので、現場で顧客や取り仕切っている会社のメンバーのように働くことしかできませんでした。

こういうところを会社でしっかり教育してくれるのが望ましいと思います。
そういうところは、新卒で入った会社ではまったくなく、中途で入ったばかりだと吸収するのが難しい状況でした。
同じような境遇の方はビジネスの流れを
意識しておくのをおすすめします。
それでも仕事としては1人分の稼ぎはあるわけで、技術スキルも得られていくので悪くはなかったと思いますし、その後のエンジニア人生にも役に立つ経験をたくさんさせてもらったと思っています。
それは顧客からの指示から始まりました
大きなプロジェクトとして1つの流れが終わった(リリースまで完了した)ところで、次の仕事の話が持ち上がりました。
それが要件定義をして見積を実施することでした。
新しいシステムを作成するので、大まかなシステムの作りや技術選定などを行って、それに対してどのくらいの作業量かを見積もることを顧客から依頼されました。
これがうつ病になりかけることへの始まりになりました。
まず、何をすればいいのかわからないのです。
プログラムを組む工程であれば、設計書を読んでどう作るかを考えて、、、とすぐに思いつくのですが、当時要件定義なんてやったことがないので、さっぱりでした。
この時、わからない、やったことがないとHELPを出すなりすればよかったのですが、自社の上司からは頑張れとしか言われず、その上司も現場にいるわけではないので1月に1度くらい話を聞きにくるくらい。
なので、教えてもらうことは絶望的。
仕方がなく自分なりのやり方で進めることにしました。
その時の他社の方に少し聞いては進めてを繰り返していたのですが、なかなか進めることができず、誰にも聞けないことが長くなり、精神的にも追い詰められていきました。
作業としては、要件定義を実施→概算見積を作成の流れだったのですが、両方経験がなかったので、毎日不安しかなく、食事の量も日に日に減っていきました。
そしてなんとか見積を実施して顧客に提示しました。
自分の中での拙い知識で行ったせいもあり、誰にもその結果のレビューをしてもらうことなかったこともありで、結果的にだいぶ足りないことになってしまいました。
なので、その後の外部設計工程以降、作業量に対して人が足りないということが起きてしまい、私の会社としては私しかいなかったので、それ以外の会社の方に大迷惑をかけることになったしましました。
最終的に私の手に負えるものではなくなり、1メンバーとしてプログラミングなどを行う立場に降格して、なんとか最後まで作業はやり切った形にはなりましたが、なんの自信も持てず、簡単なことでも自分より経験の少ない顧客のメンバーに聞いて作業を行っていくことになりました。
恐ろしくて決定するのを避けていたのだと思います。



今思うと、見積を実施したのが私なのに、その後の工程を実施するのが別会社っておかしいですよね。
正確には聞いていませんが、自分の会社の社員と同等に考えているとは言われました。
このあと散々何やってたと言われましたが、そこまで言われることはなかったのかもしれません。
この時どうすればよかったのか?
この状況で、どうすればよかったのでしょうか。
少なくとも自分の中でこの状況を作ってしまったと思われることがいくつかあります。それは
- まったく未経験の作業をなんとかできると考えて実施した
- 自社の上司に状況を詳細に相談しなかった
- できないということは男としてダメなことだと思っていた
ここでの問題は、できないことを認められていないこと、頑張ればなんとかなると思ったことです。
やったことがないことも、教えてもらっていないことでも、なんとかなると思っていること自体が無理(その場で学習して進められる人もいるのかもしれませんが、私のような凡人には無理です)なのです。万能感というものですね。これを握りしめて、日々不安を抱えながら、できない自分はダメだと自分を責めながら、毎日残業を行い、疲弊した結果、ほぼうつ状態にまでなってしまいました。
では、この時どう考え、実施していけばよかったのでしょうか。
- まったくの未経験なのを伝え、無理に作業をしないようにすればよかった
- 上司への相談をもう少し細かくすればよかった
- 人間できないことがあるのは当たり前で、それを認めた上でわからないことは学習すればいい
自分を偽ることなく、できないことをできないと言い、できることをはっきりとさせることが重要でした。
もちろんシステムエンジニアなので、技術の取得だけではなく、設計スキル、見積スキルのスキルアップをしてかなければいけないのは確かです。
ただ、まったくわからないことをできないと言えないのは、少しずれていますよね。
私の中での男らしさに、弱音を吐くべきではないというのがあるのだと思います。
この点を緩められていれば、ここまで精神的に追い込まれることもなかったと今は思います。
この男らしさや、万能感は当時意識できておらず、無意識の認知として存在していました。
この無意識の認知を変えていけたことで、現在の私はもう2度とうつ病にならないという確信を得ています。
この記事を読んでいただいた中で同じような認知があるそうだと思った方は、是非、どうなればよかったのかを考えてみてください。
今後の記事で私がうつ病寛解するのに行った無意識の認知の緩め方をお伝えしていこうと思っています。
ここまでお読みいただきありがとうございました。また次の記事で。